さて、昨日のハロウィン本番から一夜明けました。今年のハロウィンは、28日に渋谷にて発生した軽トラ横転事件で幕開けし、これまでナイトタイムエコノミーの推進側として活動してきた私にとっても衝撃的な事件となりました。


一方で、このような衝撃的な事件を分析するような論者も様々現われているわけですが、個人的に「これは違うな」と感じざるを得ないのは、現在の渋谷ハロウィンの惨状を「あれは特殊ケースだ」的に問題の切り離しを行なうような論調です。例えば、ジャーナリストの都築響一さんの以下の論考。


ROADSIDER's weekly
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渋谷のハロウィンがひどすぎる件について、多くの人が怒りを爆発させている。
あそこで騒いで、自動車をひっくり返したり、痴漢したりしているのは、地元住民ではなく、騒ぎたくてどこかから電車で乗り込んできた子たちだろう。
彼らが最悪なことは言うまでもないが、その根本にはいまの渋谷という街のキャラクターがあるように思えてならない。

たとえば銀座に、歌舞伎町や池袋北口にさえ存在する、住んでなくても「オレらの街」という感覚が、渋谷には決定的に欠けてしまっている。


一連の問題は「『オレらの街』という感覚が欠如してしまった今の渋谷」だからこそ起こったんだという論考で、それなりに色んな人達から共感を得ているようですが、僕としては正直そうでしたっけ?としか思えないんですよね。

例えば都築響一さんが渋谷と対比して「オレらの街」の代表格として挙げた池袋や歌舞伎町ですが、1990年代後半から2000年代冒頭にかけてそれらの街の治安が最も悪かった時代は、むしろそこを「オレらの街だ」と主張して憚らない若者の集団(いわゆるカラーギャングやスカウト集団などの類)が蔓延り、チーム同士で縄張り争いを繰り広げるはおろか、道行く一般人に暴力を振るって死傷事件を起こしたり、公衆電話等の公共物を壊して廻ったりと非常に大きな社会問題を引き起こしていました。当時の様相は、今回の渋谷ハロウィンの状態を彷彿とさせるというか、その比では無かったわけで「オレらの街」という感覚と、そこから問題が起こるかどうかというお話は、必ずしもリンクしているとは思えないわけです。

また、このような「渋谷だから」という切り分け論の他に、ネット上で多く見られる主張が「パリピだから」論であります。日本のハロウィンイベントの現状はパーティを軸にしてイベントが形成された、いわゆる「パリピ系」イベントと、コスプレを軸にしてイベントが形成された、いわゆる「ヲタ系」イベントの二つの軸が存在しています。今回問題となった渋谷ハロウィンは、世間的には前者のパリピ系イベントに位置づけられているワケですが、一方で後者のヲタ系イベントの支持者達は、今回の渋谷の騒動を「パリピだから」起こったイベントだとして、これまた問題の「切り分け」をし始めているわけです。

ただ、こういう論調も私は違うと思うんですよね。例えば、渋谷ハロウィンが定着するはるか以前、路上でのコスプレのメッカとされていたのが秋葉原の歩行者天国でした。当然ながら当時の秋葉原ホコ天はパリピ系ではなく、いわゆるヲタク系の方々を中心にそのブームが形成されていたわけですが、その秋葉原ホコ天でも実は、様々な問題が続出していたわけです。例えば、以下のリンク先に紹介されている2008年に発生した「アキバ四天王」と名乗る複数のコスプレイヤーによるエアガン乱射事件。

「アキバでエアガン乱射事件」まとめ 〜ハルヒのコスプレで奇声を上げ走り回る〜
https://matome.naver.jp/odai/2148677035361673101

また、当時の秋葉原ホコ天には「路上ケツ出しアイドル」(?)なんて呼ばれていた人も居て、彼女は一瞬だけマスメディアに取り上げられて有名になりましたが、結局、東京都の迷惑防止条例違反の疑いで逮捕されて消えていきましたね。

アキバの路上ケツ出し 沢本あすか(30歳)逮捕 ~ケツ出しまとめ~
http://www.akibablog.net/archives/2008/04/sawamoto-31-080425.html

要はこの種の問題は街イベントに沢山の人が集まり、そこに一種の集団心理が発生した時に一部の人達から発生しうる共通の問題であるわけで、そこで「渋谷だから」とか「パリピだから」とか、変な切り分け論を展開したところで何ら本質的な問題解決には至らないのではないのかなと思うわけです。

本論考は次回エントリに続きます