さて、カジノ反対派による著書「カジノ幻想」の問題点を指摘した昨日のエントリの続きです。先行するエントリを未読の方は、以下からどうぞ。


「カジノ幻想(by鳥畑与一)」の問題点
http://blog.livedoor.jp/takashikiso_casino/archives/8783655.html


今回ご紹介するのは、鳥畑氏お得意の「カジノはゼロサム」批判です。同氏による「ゼロサム」論に関しては、以前、彼が別所で同様の趣旨の雑誌寄稿を行った際に反論させて頂いているのですが(参照)、新刊「カジノ幻想」においても「カジノ資本主義はゼロサム」という節が設けられ、改めて同様の主張が展開されています。

鳥畑氏は本著において、サミュエルソンやストレンジなど著名な経済学者による論を引きながら、カジノ産業に対して以下のように結論付けます。


経済活動は、新たな生産物等の富を生み出す生産的経済活動と、それらの富を消費する非生産的経済活動に区分される。たとえば小麦を生産する農家から小麦粉を製粉する企業に小麦が売却され、さらにその小麦粉が製パン企業に売却され、最終的に消費者にパンとして販売される経済活動においては、それぞれの取引は次の生産活動を支え、そこで付加価値が加わった新たな生産物が生み出されていく。

このような生産的経済活動に対して、カジノが販売するギャンブルの消費はその買い手による新たな経済活動につながるものではない。
(鳥畑与一「カジノ幻想」, 45pg)


えーっと、一応、経済学者として飯を食っていらっしゃる鳥畑氏に対して大変失礼なんですが、それって「生産的経済活動と非生産的経済活動」ではなくて、「中間消費と最終消費」の違いなんじゃないですかね?

鳥畑氏の説明にそのまま乗っかるのならば、彼が言うところの「農家から企業が小麦を仕入れて小麦を作る」、「その企業からパン屋が小麦粉を仕入れてパンを作る」にあたる消費は、次の生産活動を行うための仕入行為であり、「中間消費」と呼ばれる消費活動です。逆にその先にある、パン屋からパンを買う消費者による消費は、その買い手による新たな経済活動に繋がるものではない、すなわち「最終消費」です。

一方、鳥畑氏が比較対象として取り上げている「カジノが販売するギャンブルの消費」というのは、当たり前ながらカジノ産業における最終消費者による消費行為です。ところが、これまた当たり前のようにカジノ産業においても、それら最終消費者に対して「ゲーム提供」というサービスを生産する側に居る事業者は、設備投資を行い、労働者から労働力を購入し、その他各種運営経費を支払い…と様々な中間消費を行っています。同時にその背後には様々な中間業者が連鎖的に存在しながら、「新たな経済活動に繋がる消費行為」を行っているという点も同じ。違うのは、そこで最終消費されているのが「財」なのか「サービス」なのかだけです。

にもかかわらず、鳥畑氏はカジノ産業側からは最終消費者による消費行為だけを切り出し、一方でそれを何故か中間消費、最終消費までもを含めた小麦生産からパンの製造&消費に至るまでのサプライチェーン全体と比較しながら、「カジノ消費は新たな経済活動につながらない非生産的経済活動だ!」と、謎の批判を展開している。同じ比較をするならばサプライチェーン同士を比較しなければいけないですし、逆に最終消費者による消費部分だけ切り出せば、パンの消費だって「新たな経済活動につながるものではない」でしょうに。。この批判が論理的に筋が通っていると思っていらっしゃる事がむしろ驚きです。

…と思って、「カジノ幻想」を読み進めたら、鳥畑氏は上記のような「カジノはゼロサム」批判を大々的に展開した後に出てくる、別の節においてご自身で以下のように書いてしまっているのですね。


もちろんカジノ・ギャンブルという「サービス商品」を生産(提供)するためには、カジノ施設の建設やゲーム機器などへの需要が発生し、施設の運営・保守管理やゲーム操作を行うディーラーやレストラン、ショップ等の従業員などの労働力を必要とする。この側面では需要と所得を生み出し、一定の経済的波及効果を生み出す実態のある経済活動であり、カジノ産業全体が「虚業」というわけではない。
(鳥畑与一「カジノ幻想」, 46pg)


…だから、貴方が前段で仰っている論はオカシイですよね? 前回のエントリに引き続き、ここでも己の主張を、ご自身が後段で否定するという、なんとも笑えないジョークのような展開が見受けられます。