私が本ブログ上で一方でフォローしてきた「海の家」問題の時も神奈川新聞は良い仕事をしていましたが、これまた素晴らしい記事です。以下。神奈川新聞からの転載。


ギャンブル依存症考 「対処機関の充実を」久里浜医療センター精神科医長の河本泰信さん
https://www.kanaloco.jp/article/79183/cms_id/107117

-ギャンブル依存症とはどういうものか。

 「イメージとしては『分かっちゃいるけどやめられない』状態。やめたいけれどもやめられず、薬物や酒と同じでいくらやっても満たされないけど求めていき、破滅に向かう。心に深刻な葛藤を抱えている人が多い」

[…]

-ギャンブルへの依存が救いになっていると。

 「なぜギャンブルにはまるのかというと、生きる意味が見つけられないから。労働する喜びなど、生きる意味をきちんと与えてくれる社会であればよいが、現実はそうではない。そうだとしたら、生きる意味は別の形で求めなければならない。その中に依存症がある。ギャンブルは酒などと同じようにまやかしで一時的ではあるが、生きる意味を与えてくれる」

 「先ほど自然回復する人が3~6割と言ったが、9割が依存症から脱して上手にギャンブルを楽しんでいるという海外の報告もある。ただ、残りの人は破滅に向かっている。破産と自殺。その人たちを見分けていくのが社会やわれわれ精神科医の役目だ」

-ギャンブル依存症の治療とは。

 「治療に必要なのは、『ギャンブルは危険だからやめろ』ということではない。ギャンブルで破滅に向かう人たちは、心の奥に羞恥心や罪悪感などの強い葛藤を抱えている人が多い。そういう人たちは自然に回復できない。それを見分けてカウンセリングなどを行い、羞恥心などの重症化因子を取り除けば、ある程度自分をコントロールしながらギャンブルをできるようになる」


以前のエントリでも書いたことですが、多くの国々で標準的な依存症診断ガイドラインとして利用されている米国精神医学会の定めるマニュアル(DSM)が昨年改定され、精神医学の世界では「ギャンブル依存症」の病気としての解釈そのものが現在、大きく変わろうとしています。しかし、本マニュアルは未だ日本語に翻訳されていないこともあり、我が国では未だ古い解釈に基づいたギャンブル依存症のとらえ方が、一般人のみならず精神医療の専門家の間ですらなされている状況。

そんな中、上記記事にて神奈川新聞が紹介している久里浜治療センターの河本氏は、国内数少ないギャンブル依存症の専門部門を持つ医療施設の責任者として、最新の知見を持ってギャンブル依存症の解決にあたっている数少ない先生と言えます。


【参考:これに関連する以前のエントリ】
ギャンブル依存症研究で見えてきたこと―筑波大学准教授 森田展彰氏と語る
http://blog.livedoor.jp/takashikiso_casino/archives/8549074.html


昨年のDSMの改定によって行われたギャンブル依存症に関する最大の変更は、これまで「進行性かつ不可逆な病」されていたギャンブル依存症が再定義されたことです。「進行性かつ不可逆」とは、すなわち「一度かかったら治らないし、どんどん酷くなる」というもの。このかつて為されてきた解釈こそが「すべてのギャンブル愛好家は破滅に向かって突き進む存在なのだ」とするギャンブル害悪論の大きな部分を占めてきた理論であるワケですが、実はその捉え方そのものが最新の研究の中では変わりつつあるのです。

上記リンク先で河本氏が紹介している通り、人生の危機に陥ったり挫折したりした人の中には、自らの「心の隙間」を埋めるためにギャンブルを利用する人が居ます。しかし、そのような人達の中にも、それらどん底の期間を脱した時には、おのずと依存状態から抜け出す人達が沢山いるワケで、ギャンブル依存症は治らない病気でもなければ、一度かかったらどんどん酷くなるような絶望的な病気ではないのです。(但し、改訂版DSMでは「一度依存した人は再発しやすくなる事があるので注意が必要」としています)

また、私が過去参加したセミナーにおいて、河本氏は「医療的なアプローチがギャンブル依存にとって唯一の対処策というわけではなく、その手前に様々な対処の選択肢がある」といった表現もしていました。この点も私がギャンブル依存を勉強している中で殊に最近「非常に難しいな」と思っているところ。

かつて我が国では(というか今の世においても)、ギャンブル依存を道徳心や責任感のなさと結びつけて個人を糾弾するといったことが多く行われてきており、その状況を払しょくするための一つの論法として殊に「依存症は病気なのだ」というメッセージが非常に強く押し出されてきたところがあります。しかし、実はこのメッセージが一部で「浸透しすぎた」部分もあり、「病院にさえ連れてゆけばいい」すなわち、医療的なアプローチだけがこの種の問題の唯一の解決策なのだといった風潮が逆に一部で大きくなっている。

ところが、ギャンブルに由来する問題は必ずしも医学的な問題というだけではなく、実は金銭管理に関する基礎的な教育の問題であったり、ギャンブルや投資に関するリスク教育の欠如であったり、また重度のストレスを抱えた時に「逃げ場」が少なく、それを気軽に相談する場も少ないという社会構造全体の問題であったりもします。このことは、河本氏だけではなく複数のギャンブル依存の専門家が指摘しているところ。例えば、国内初の宿泊型ギャンブル問題支援施設として有名なワンデーポートなどは、あえて「ギャンブル依存症」ではなく、「ギャンブル問題」という表現でこの問題にアプローチしていますが、ここに見られる考え方はまさに医療だけが依存に対するアプローチではないことの象徴ともいえるでしょう。


Q.ワンデーポートでは「ギャンブル依存症」ではなく,「ギャンブルの問題」と言っているのは何故でしょうか。

A.私たちは、生活能力に起因する過度のギャンブルと、病的ギャンブルの問題は別けて考えています。前者はギャンブルをやる前から金銭管理や生活能力の課題を持っている人で、後者はギャンブルをやる前は仕事や家庭生活がしっかり出来ていた人です。生活能力に起因した過度のギャンブルである人の場合は、「病気」を回復させるという考え方ではなく、生活スキルをアップさせ、苦手なことに対し支援を受けるという具体的な課題解決に主眼をおくべきだと考えています(GAへの参加は不要です)。

 ワンデーポートでは、いわゆる「病的ギャンブラー」にはGAを勧め、生活能力に起因する人は発達障害の評価を受けてもらった上で、金銭管理等その人に必要な援助を行っています。つまり、ギャンブルにはまっていてもその背景は多様であることを知ってもらうために「ギャンブル依存症」という言葉を使わないことにしています。
出所:http://www5f.biglobe.ne.jp/~onedayport/blankpage5.html


ギャンブル依存対策を考える我々の立場としては、上記のような状況を鑑みながら、この問題に対する包括的なアプローチを考えてゆかなければなりません。