序論:MICEの危機と戦略的パラダイムの転換

1. 観光を前提とするMICEの機能的敗北

MICE (Meeting, Incentive Travel, Convention, Exhibition/Event) は、その定義上、移動と滞在を伴う「地域消費の創出」を主目的とする観光産業の戦略的ツールである。しかし、COVID-19パンデミックとデジタルシフトは、このリアルの場に集まる経済的合理性を根本から揺るがした。

危機的現状として、国際会議を中心としたMICEの集客力は未だ回復途上にある。国際会議協会(ICCA)の基準に基づく日本の国際会議開催件数は、2024年時点でもコロナ禍前(2019年)の水準に対し約76%の回復に留まっており、MICEの主要機能がデジタルに市場を奪われた機能的敗北を示している。特に、情報伝達や新製品発表、商談といったBtoB領域の機能は、オンラインツールによって効率的に代替され、高コストな移動を伴う経済合理性が崩壊した。

この機能的敗落は、国際会議(C)に加えて展示会(E)の分野でも顕著である。コロナ禍の期間中、企業は新製品発表を大規模なリアルイベントではなく、独自のオンライン配信へとシフトさせた。これにより、従来のBtoB型展示会の中核であった「新製品発表と業界関係者への一斉情報伝達」という機能がデジタルに代替され、リアルの場の存在意義が大きく低下した。この結果、多くのBtoB型展示会は規模の縮小や終了を余儀なくされ、MICE市場全体が構造的な危機に直面している。

2. 従来のMICE分類の限界と本論文の戦略的視点

従来のM・I・C・E分類は、イベントの「取引の起点」にのみ着目し、イベントが最終的に誰に価値を提供し、誰の消費行動を促しているかという視点、すなわち「デジタル代替性」の有無や「最終的な参加者の構成」を分析できない構造的限界を持つ。この限界ゆえに、MICE戦略はデジタル化の波に対して常に後手に回らざるを得なかった。

例えば、インセンティブ(I)は「企業による報奨旅行」という取引の起点(BtoB)で一括りにされるが、その真の目的は従業員や代理店(C)のロイヤルティ強化という感情的価値の獲得にある。この目的の質の違いを従来の分類は捉えられない。また、コンベンション(C)や展示会(E)も、「純粋な商談の場(BtoB)」と「ファンを巻き込む体験の場(BtoBtoC)」が混在しており、従来の分類ではどちらの機能が生き残るべきかという戦略的判断ができない。

デジタル時代においてMICEが生き残るためには、リアルの場に集まる「目的の質」、具体的には「代替不可能な物理的体験の創出」という視点からMICEを再定義し、BtoB(商談)機能からBtoBtoC(コンシューマー参加)機能へと戦略を転換する必要がある。この新しい戦略軸こそが、高コストな移動を伴うリアル開催の経済合理性を再構築し、MICEを「観光消費の最大の担い手」として再定義させる唯一の道筋である。

3. 本論文の目的と提唱する新理論

本論文は、MICEを**「BtoB型(商談・効率軸)」と「BtoBtoC型(コンシューマー・体験軸)」に再分類する新しい理論を提唱する。この新しい理論的枠組みは、MICEの存在意義を「デジタル代替性の低い物理的体験の創出」に置き直すことで、構造的な危機への対応を可能にする。

具体的には、BtoB型MICEがデジタルによって市場を奪われ「機能的敗北」を喫したという現状認識から出発し、BtoBtoC型MICEが持つ集団的な集客力、高単価な消費への誘導力、および顧客のロイヤルティ(忠誠心)を強化する能力を、「リアルMICEが獲得すべき戦略的資産」として定義する。この分類と戦略転換を通じて、MICEが単なる過去の遺産ではなく、デジタル時代においても都市経済と観光産業の持続的な成長を牽引する核として再定義され、リアルMICEの戦略的成功に向けた明確な戦略的指針を提示する。本理論は、特にコンテンツ産業やIT産業における世界的イベント(E3、TGS、AWS re:Inventなど)の盛衰を詳細に検証することで、その戦略的妥当性を実証的に裏付けるものである。

第1章:新しいMICE理論の確立:BtoBとBtoBtoCの境界線

1. BtoB型MICE:商談・効率性の追求(コンシューマーを含まない機能)

BtoB型MICEは、企業・団体間の合理的・機能的価値の交換を主目的とし、最終的な参加者にコンシューマー(一般消費者)を原則として含まない。

従来の国際会議や専門展示会の中核を成してきたのは、このBtoB型MICEである。その機能は、部品調達、サプライヤー選定、効率的な契約締結、単発の商談成立といった活動であり、これらは企業活動の継続性や生産性の向上に直結する。したがって、主な参加者は、企業の購買担当者、研究者、業界専門家、そしてメディアといった、すべて企業活動の代表者であった。

しかし、情報伝達や形式的な商談といった機能はデジタルに代替され、高コストなリアル開催は経済合理性を喪失した。この論理的限界は、以下の具体的な側面において顕在化している。

まず、企業のカンファレンス発表(例:決算発表、新技術ロードマップ)は、物理的な集客を伴うことなく、高画質なウェビナーやライブ配信へと完全に移行した。この結果、情報コストが劇的に低下したことで、リアルな場での情報伝達の必要性が消失したのである。

次に、契約の初期段階やフォローアップの商談についても、オンライン会議システム(Zoom, Teamsなど)によって代替可能となり、時間と移動費用が不要となった。これにより、リアルの場が担う商談機能は、最終的な顔合わせや契約確認といった、代替性の低い最小限の機能に限定されるに至った。

また、決定的な要因として、BtoB型の価値が機能性に偏重していたために、リアルな場に集まることで得られる「特別な体験」や「集団的な感情的価値」が存在しなかった。その結果、参加者側には、デジタルへの移行をためらう理由が構造的に存在しなかったのである。

結論として、これらの機能がデジタルに代替されたことで、MICEが本来目指す高コストな「観光(移動と滞在)」の経済合理性が崩壊した。これは、リアルMICE市場の機能的敗北の主要因である。

2. BtoBtoC型MICE:コンシューマー参加と物理的体験(集客力が鍵となる機能)

BtoBtoC型MICEは、企業間の取引によってイベントが成立しつつも、最終的な参加者としてコンシューマー(C)を組み込み、その集団的エンゲージメントの向上を最終的な目的に、顧客の行動を促す構図である。

この構図の核心は、オンラインでは再現不可能な代替不可能な「物理的体験」、「集団的な集客力」、「試遊による製品認知、そして「非日常性」を創出することにある。これらの要素は、単なる情報提供ではなく、顧客のロイヤルティ(忠誠心)を高めるための戦略的資産となる。

具体的に、BtoBtoC型MICEは、以下の三つの物理的価値を通じて、企業(B)の収益に貢献する。

第一に、集団的・物理的な接触機会の創出である。 例えば、試遊台が集中した展示ブースのように、顧客(C)が直接製品に触れ、五感を活用してその性能や質感を確かめる機会を提供する。これは、高解像度の映像やライブ配信では決して代替できない、製品認知における信頼性の担保に直結する。

第二に、コミュニティによる集団的忠誠心の強化である。 共通の関心を持つ数万人のコンシューマーが一つの空間に集結すること自体が、参加者にとって極めて特別な体験価値となる。この集団的な参加体験は、イベント後も継続する強い帰属意識を生み出し、企業やコンテンツへの持続的なロイヤルティへと昇華される。

第三に、非日常的な空間の提供を通じた高付加価値消費の誘発である。 ラスベガスのようなエンターテイメント都市や、歴史的建造物(ユニークベニュー)といった「非日常性」のある場所でイベントを開催することで、参加者(C)の高付加価値な消費を促す状況を戦略的に作り出す。これにより、高額な限定グッズやプレミアムチケットなど、忠誠心に基づく高単価な消費行動をリアルな場で誘発するのである。

定義: したがって、BtoBtoC型MICEは、企業(B)が顧客(C)の購買行動をリアルな場で誘発し、中長期的な「顧客生涯価値(LTV)への貢献」という形で回収する、高度に戦略化されたビジネスモデルである。

第2章: BtoB型MICEの崩壊とBtoBtoCへの戦略的転換事例

1. ゲーム業界の対比:E3の商談機能の敗北とTGSのコンシューマー体験の勝利

本章は、デジタル代替性という共通の危機に対し、異なる起源を持つ二大ゲームショウが辿った運命を比較することで、BtoB型MICEの構造的脆弱性とBtoBtoC型MICEの戦略的優位性を実証する為に、二つのイベントを対比分析する。

E3の構造と終焉:BtoB機能特化の弊害

E3(Electronic Entertainment Expo)は、1995年にロサンゼルスで開始された。当初の役割は、業界関係者を対象とした新製品発表と商談の場に特化(BtoB)していた。2017年に、後発的に一般公開枠を導入しBtoC機能を取り込んだが、イベントの主軸は依然としてデジタル代替可能なBtoB機能にあった。 コロナ禍が発生すると、企業は新製品発表を独自のオンライン配信へとシフトさせたことで、E3の中核を成していたBtoB機能がデジタルに完全に奪われ、高コストなリアル開催の経済的合理性を喪失。E3は構造的な役割を喪失し、2023年末に正式に終了した。この終焉は、BtoB型MICEがデジタル化に対して機能的に敗北したことを示す象徴的な事例である。

TGSの構造と勝利:コンシューマー体験への集中

対照的に、東京ゲームショウ(TGS)は、E3とは対照的に1996年の開始当初から一般公開日を設定し、BtoBの要素も内包しつつもコンシューマー(C)の集客を主軸とするBtoBtoCのショウであった。TGSの成功要因は、その起源がコンシューマーショウにあるという歴史的背景を最大限に活かし、「試遊と集団的な集客力」という代替不可能な物理的体験価値に特化した点にある。

TGSは、2024年に274,739人というコロナ禍前(2019年の26.2万人)を上回る動員数を記録し、BtoBtoC型MICEの勝利を鮮明に示した。これは、コンシューマー集客を主軸としていたため、メーカーがコンシューマーの購買行動をリアルな場で誘発し、長期的なロイヤルティを確保する戦略的なプラットフォームとして機能し続けていることを示している。具体的には、試遊台の充実や大規模なイベントスペースの活用を通じて、集団的な参加体験を優先するイベント設計を徹底した。このBtoBtoC要素への集中こそが、デジタル時代においても高コストなリアルMICEの経済合理性を維持し、E3とは対照的な結果をもたらしたのである。

2. 自動車業界の転換:IAA MOBILITYへの進化

自動車業界における転換事例として、旧フランクフルトモーターショーが辿った道のりを、BtoBからBtoBtoCへの質的変化で危機を乗り切った好事例として紹介する。

旧フランクフルトモーターショーの構造と崩壊:BtoB機能特化の弊害

旧フランクフルトモーターショー(IAA)は、1951年からフランクフルトで開催されてきた伝統ある自動車業界のイベントであり、その役割は長らくメーカー主導の製品発表と商談を行うBtoB的な情報伝達機能に特化し、その機能が主軸であった。しかし、デジタル化の進行に伴い、新車発表会というBtoB的機能はオンライン配信で代替可能となり、高コストなリアル展示の経済合理性を喪失した。主要メーカーの出展見送りや来場者数の減少など、E3と同様の構造的課題に直面し、従来の自動車業界のイベント形態は維持できなくなった。

IAA MOBILITYへの戦略的移行:BtoBtoCへの全面転換

この危機に対し、IAAは2021年にコロナ禍後のデジタルシフトへの対応として、イベント名称と開催地をミュンヘンに変更し、「IAA MOBILITY」として再スタートを切った。この移転には、従来のBtoB的な「情報集約地」という観点から、ドイツ国内で最も経済力と購買力が高い南部に位置するミュンヘンが、高付加価値な消費を担うターゲット層に直接アプローチしやすい戦略的な「消費地」であるという判断が働いている。この転換の核は、BtoB機能の比重を下げ、コンシューマー体験(BtoBtoC)へと全面移行した点にある。

新しい IAA MOBILITY は、従来の展示会場(Messe München)でのメーカー主導の製品発表と展示機能に加え、ミュンヘン「街全体でのモビリティ体験」という開放的なコンシューマーショウ(BtoBtoC)空間へと進化させた。具体的には、市内の公道に試乗ルート(ブルーレーン)を設け、一般来場者(C)が未来の電動モビリティを直接体験できる機会を創出した。これは、BtoB的な機能に特化していたイベントから「未来の都市交通の体験」**へと価値を転換させ、コンシューマーの参加と体験を主軸とすることで、デジタル時代におけるリアルMICEの経済合理性を再構築する戦略的な成功事例である。

第3章: コンテンツ・インセンティブ戦略:BtoBtoCモデルの戦略的機能

伝統的なMICE振興策は、国際会議(Convention)と展示会(Exhibition)に力点を置き、イベント(Event)やインセンティブ(Incentive)を相対的に軽視してきた。しかし、デジタル代替性の低い「体験」に価値を置くBtoBtoC型MICEを振興する上で、このEventとIncentiveの機能こそが極めて重要になっている。

3.1. 新しい文化イベントの潮流:ロイヤルティと体験に特化したBtoBtoCモデル

EVOに代表される「ファン・エンゲージメント型イベント」は、従来の国際会議や展示会と異なり、企業が直接コンシューマー(C)と「情緒的な絆」を構築し、ロイヤルティ(忠誠心)を最大化することを主目的とする。これは、単なる情報伝達を目的とせず、デジタルでは代替できない「集団的な熱狂」と「没入的な物理的体験」の提供に特化している点が注目される。本章で取り上げる事例(EVO、FFXIVファンフェス、AWS re:Invent)は、高コストなリアル開催の経済合理性を、参加者の高単価な忠誠心消費と長期的な顧客生涯価値(LTV)の確保という戦略的なリターンによって再構築している、この新しい潮流を具体的に示すものである。

3.1.1. EVOの事例とロイヤルティ強化

EVO(Evolution Championship Series)は、1995年にカリフォルニア州でアマチュア大会として始まり、現在では毎年ラスベガスで開催される世界的eスポーツイベントに成長した。その起源がアマチュアのコミュニティにあるため、イベントのDNAとして「競技の熱気とコミュニティの一体感」が根付いており、これがデジタルでは代替できない物理的体験価値となっている。EVOは2021年にSonyグループの傘下に入った後も、そのコミュニティ主導の形式を戦略的に維持している。これは、企業が中立的なプラットフォームを維持することで、業界全体(競合メーカーのタイトルを含む)のファンベースを集客し、コミュニティそのものの活力を企業資産に転換するBtoBtoC戦略を最優先しているためである。EVOは2023年に総エントリー数15,000件以上を記録し、その規模を拡大している。この集団的な集客は、企業の長期的な収益に直結するBtoBtoC戦略の成功を示す。ファンは、競技の熱気とコミュニティの一体感を求めて、高コストな移動と滞在を伴うリアルな場に集結する。これは、「純粋な商談」ではなく「ファンベースの忠誠心」を企業の資産に転換する、新しいBtoBtoCの形である。

3.1.2. FFXIVファンフェスティバル:高単価な忠誠心消費の誘発

FFXIVファンフェスティバル(ファンフェス)は、日本のスクウェア・エニックスが主催する、世界最大級のコミュニティ型コンベンションであり、EVOと同様にラスベガスと東京を主要な開催地としている。FFXIVは2013年の新生サービス開始以来、コロナ禍でプレイヤー数を爆発的に増加させており、そのコミュニティの熱量をリアルに解放する場として機能している。ファンフェスは、拡張パッケージなどの最重要情報の発表を、会場をゲームの世界観で装飾する没入的な体験と組み合わせることで、高単価なチケットにも関わらず即完売するほどの需要を生む。このイベントは、単なる情報伝達ではなく、高コストな移動と滞在を伴うファンに対して、「コンテンツへの忠誠心」と「コミュニティへの帰属意識」という究極の物理的体験を提供することで、長期的なサブスクリプション維持と関連グッズ購入という形で、企業の収益に貢献する。これは、BtoBtoCが高付加価値な観光消費を誘発する強力な手段であることを裏付ける。

3.1.3. AWS re:Inventにみるハイブリッドなファンフェス(ユーザーフェス)モデル

IT産業におけるAWS re:Inventは、Amazon Web Services (AWS) が主催する、大規模な「ファンフェス(ユーザーフェス)」の一形態である。このAWS re:Inventは、従来のBtoB型カンファレンスが「機能の効率性」や「情報収集」に主軸を置いていたのとは異なり、創設された時点から「技術者(ユーザー=C)のエンゲージメント獲得」を目的とするBtoBtoC戦略に立脚した設計思想を持っていた。

AWS re:Inventは、技術者(ユーザー=C)をAWSというプラットフォームの最終的な契約者(ユーザー)である顧客(C)と見なす、BtoBtoCイベントである。イベントは現在、毎年ラスベガスで開催され、世界中から数万人の技術者が集結する。これは、機能性(情報伝達)よりもロイヤルティ獲得(体験)に軸を置くことで、従来のBtoB型コンベンションとは一線を画した。

AWS re:Inventの集客規模は、パンデミックによる中断を経て、2019年(6.5万人超)から2023年以降も5.0万〜6.0万人規模まで急速に回復している。この高い回復力は、従来のBtoB型カンファレンスとは異なり、参加者(C)に非日常空間での最高の技術体験と交流という代替不可能な価値を提供し、企業のクラウド利用拡大という事業資産を確保するBtoBtoC型の戦略的優位性を示している。

3.2. インセンティブツアーの戦略的進化:人的資本強化と組織エンゲージメントの再構築

インセンティブツアー(I)は、その起源からもBtoBtoC型MICEのハイブリッドな原型であり、企業の「人的資本の強化」という中核的なBtoB目標を達成するための手段である。

インセンティブツアーにおける社員や外部パートナーに対する褒賞は、企業が彼らを一時的に「顧客(C)」としておもてなしをするという戦略的な意味合いを持つ。企業(B)が、彼らの忠誠心を高めるための高付加価値な体験を提供することで、結果としてBtoBtoCモデルに帰結する。

ポストコロナ時代において、リモートワークや分散型チームの常態化が進む中、従業員間の物理的な接触や偶発的な交流が減少し、組織エンゲージメントや帰属意識の希薄化が世界的に喫緊の課題となっている。インセンティブツアーは、この「組織の希薄化」に対する物理的かつ情緒的な「解決策」として機能することで、その戦略的価値を大きく高めた。

インセンティブの対象は、社員、そして形式的には企業体に属する外部パートナーに及ぶが、報酬の真の目的は対象者の所属に関わらず、個人の忠誠心(ロイヤルティ)獲得にある。企業が期待する最終的なリターンは、個人(C)の満足を通じて、中長期的な販売実績や離職率の低下というBの目的に資することである。

報奨として提供される非日常的な空間(豪華リゾート、ユニークベニュー)での体験は、単なる金銭的ボーナスでは代替できない感謝と強い帰属意識を生む。特に、日常から切り離された環境で、共通の成功体験や感動をチームメンバーと共有することは、強い連帯感と相互信頼を醸成する。この共有された体験は、五感を刺激し、短期的な満足で終わらずに長期的な「記憶のプレミアム」として定着する。この記憶こそが、組織内でのコミュニケーションを円滑にし、デジタルでは構築不可能な強固な「心理的安全性」を確保する基盤となる。

この体験を通じた「企業と個人の絆の再構築」こそが、デジタル時代に希薄化しがちな組織の結束力を高める、BtoBtoC型MICEの最も重要な戦略的機能である。

第4章:総括:MICEの戦略的成功と持続的成長の実現

1. 戦略的結論:リアルMICEの価値軸の再設定

本論文の考察は、デジタル化によってBtoB型MICEが機能的敗北を喫したという現実を出発点とする。情報伝達や商談の初期プロセスといった機能は、オンラインツールにより圧倒的な効率と低コストで代替され、リアルな場への移動に伴う高コストな経済合理性は決定的に崩壊した。この機能喪失を直視することが、新しい戦略の第一歩となる。

しかし、この危機は同時に、リアルMICEの存在意義を「デジタル代替性の低い物理的体験の創出」に集約させる戦略的転換点となった。真のリアルMICEの価値は、もはや情報伝達の効率性ではなく、集団的な熱狂、忠誠心の強化、そして非日常体験を通じた高付加価値消費の誘発というBtoBtoC領域にのみ存在する。これらの要素は、人間が本来持つ「集団への帰属意識」や「五感を刺激する体験」という本質的な欲求に基づいているため、技術革新によって代替されることは極めて困難である。

したがって、MICE振興策の価値軸は、従来の「観光集客の手段」という受動的な地位から、根本的に転換されなければならない。企業がMICEを単なるイベントとしてではなく、顧客や人的資本のロイヤルティを能動的に獲得し、顧客生涯価値(LTV)を最大化する「戦略的プラットフォーム」として位置づけることこそが重要である。この「戦略的プラットフォーム」とは、顧客の購買行動をリアルな場で誘発するだけでなく、イベント後のデータ収集、コミュニティの継続的な維持、そして次期イベントへの継続的な参加意欲を刺激する、エンゲージメントのハブとしての役割を意味する。

この価値軸の再設定は、MICEを観光の「脇役」ではなく、コンテンツ産業やハイテク産業の収益構造に直結する「主役」として再定義する。これにより、高コストなリアル開催の経済合理性は、短期的な地域消費の創出だけでなく、企業の中長期的な事業利益への貢献によって明確に再構築される。MICEを都市経済成長の核として持続的に機能させるためには、このBtoBtoCを主軸とする「LTV戦略」への転換が唯一不可欠な結論となる。

2. 政策提言:BtoBtoCを主軸とするLTV戦略の断行

本論文の提言は、我が国のMICE振興政策が、デジタル代替性の高いBtoB機能への資源偏重から脱却し、本文で検証された BtoBtoCの成功要因に立脚した戦略的主軸の転換を断行することにある。

政策目標の再定義と「デジタル代替性検証」の原則化

MICE振興の政策目標を、従来の「開催件数や誘致数」(量)から、「BtoBtoC型イベントによる顧客生涯価値(LTV)への貢献度」(質)へと根本的に転換すべきである。LTV貢献度を主たる評価指標とすることで、MICEが地域経済に提供する価値を、短期的な集客効果に留まらず、企業の持続的な成長と連動した長期的な収益貢献として捉え直すことが可能となる。政策の企画段階においては、そのイベントがオンラインで代替可能であるかを検証する「デジタル代替性検証」を義務付けることで、公的資源の投入が、リアル開催の「真の付加価値」を最大化するBtoBtoC型MICEに集中的に行われる仕組みを確立すべきである。

代替性が高いBtoB機能(情報伝達や一般的な会議)に対する公的支援や資源投入は、効率化を徹底した上で、その資源をBtoBtoCモデルの推進へと戦略的に再配分することが必須である。これにより、限られた資源をBtoBtoC型の熱狂と体験の創出に集中することが可能となり、「選択と集中」の原則に基づくMICE戦略の最適化が実現する。

「BtoBtoC型展示会」「ファン・エンゲージメント」「人的資本」への戦略的集中投資

資源は、第2章および第3章でその優位性が実証されたBtoBtoCモデル(展示会、イベント、インセンティブ)の振興に集中すべきである。この戦略的集中は、デジタル時代においてリアル開催の競争優位性を確保し、MICEを「観光消費の最大の担い手」として再定義するための必須条件である。

BtoBtoC型「体験展示会・ファンイベント」の戦略的育成・誘致 (Exhibition/Event): TGS、IAA MOBILITY、EVO、FFXIVファンフェスといった、高ロイヤルティなコンシューマー層を集客するBtoBtoCモデルの成功要因である「集団的な熱狂」や「代替不可能な物理的体験」(試遊、没入体験、都市利用)の創出を可能にするため、政策資源を投入すべきである。具体的には、多人数集客を可能とする公共空間や施設の利用における許認可の迅速化と規制緩和に資源を集中し、イベント主催者が国内で大規模な体験型イベントを企画・実行しやすい環境を整備することが極めて重要となる。特に、IAA MOBILITYの事例で示された公道利用のように、高付加価値な体験創出のため、非日常的な空間をイベントに活用するための許認可プロセスを戦略的に迅速化し、実行環境を整備することが不可欠である。

「インセンティブツアー」(Incentive)の高度化支援: 企業の組織エンゲージメント強化を目的としたインセンティブツアーは、企業の「人的資本経営」をMICEを通じて間接的に支援する重要な手段である。このため、非日常的な高付加価値体験プログラム開発への補助を行うべきであるとともに、国内企業によるインセンティブツアーの実施を促し、MICEサービス産業全体の品質向上とノウハウ蓄積を支援するため、税制優遇措置の検討を行うべきである。この国内市場の活性化とサービス品質の向上が、結果として日本のインセンティブ誘致における国際競争力の強化に資する。これにより、インセンティブツアーが単なる報奨旅行ではなく、組織の結束力と社員のモチベーションに直結する**戦略的な「投資」**として位置づけられるよう政策的に誘導する。また、地域の文化や歴史に深く根ざしたユニークな体験(地域コンテンツ)をプログラムに組み込むためのマッチング支援を強化することで、地域経済への付加価値の波及効果を最大化する。